■アルマリゾート

イネやムギの収穫調製には、大きく分けて自脱型コンバインを使用する作業体系と、バインダー-ハーベスターを使用する作業体系がある。その他の穀類には普通型コンバインが使用される。 現代的な農業においては、脱穀はコンバインを利用することが主流となっており、バインダー-ハーベスターの組合せはコンバインのような大型機械の導入が困難な中山間地での利用が多い。このコンバインという農業機械は刈入れから脱穀、籾殻と種の選別までを続けて実行できるので、農作業の省力化に貢献している。 江戸時代の唐簑農業機械の普及前の脱穀は、不用品回収 した作物を乾燥させた後に行われ、一つの作業で脱?も兼ねる場合もあった。 当時使われた農具として、以下のようなものがある。 叩き棒 - 豆類、ムギ、アワなどに使用。二股の木の枝などを使って、筵の上に広げた収穫物を叩いて脱穀する。 殻竿(からざお)、唐竿(からざお)- 豆類、ムギ、アワなどに使用。長い竿の頭に、回転する棒を数本取り付けたもの。竿を持ち、回転部を振り回す要領で収穫物を打つ。 千歯扱き(せんばこき)- コメ、ムギなどに使用。櫛上の歯の間に穂を通すことで実を扱いで落とす。江戸時代に千歯扱きが発明されたことで、農作業の効率が向上した。 足踏式脱穀機(あしぶみしきだっこくき)- コメ、ムギなどに使用。千歯扱きを改良して、歯の部分が回転するようにした農業機械。大正時代に発明された。 千歯扱き(せんばこき)もしくは千歯(せんば)は、元禄期に和泉国の大工村(現在の大阪府高石市高師浜の一部)で考案された日本の古式の脱穀用農具。木の台の上から鉄製、もしくは竹製の櫛状の歯が水平に突き出した形をしている。 木製の台に付属した足置きを踏んで体重で固定し、櫛状の歯の部分に刈り取った後に乾燥した稲や麦の束を振りかぶって叩きつけ、引いて梳きとる。稲の場合にはこれで穂から籾が落ちるので、脱穀が完了する。麦の場合には穂が首から折れて穂のまま落ちるので、これをさらに叩いて脱穀する。 この農具の開発までは、手に持った扱箸(こきばし)という大型の箸状の器具で穂を挟んで籾をしごき取っていたため、束のまま一気に脱穀できる千歯扱きの発明によって、脱穀の能率は飛躍的に向上した。しかし、非効率な扱箸による脱穀は村落社会においては未亡人の貴重な粗大ごみ となっていたため、千歯扱きはこの労働の機会を奪うものとなり、後家倒し(ごけたおし)の異名もある。 大正時代になると、千歯扱きからの発展形として、足踏み方式の回転ドラムにループ状のピンが多数植え込まれた足踏み式脱穀機が開発されさらに脱穀効率が向上し、さらにこれが動力式に発展した。 キビ(黍、稷、学名:Panicum miliaceum)は、イネ科の一年草で、穀物の一種である。日本では五穀の一つとされる。 インドが原産と推定されるが、原種になった野生植物が発見されておらず、詳細は不明である。中国の華北地方ではアワとともに古代の主要穀物であった。日本には縄文時代に渡来したアワより遅く、弥生時代に中国から渡来したと考えられている。 生長すると1メートル程度になり、夏から秋にかけて茎の先に20センチメートル程度の穂ができ、垂れ下がる。秋に花が咲き、黄色い実がなる。実が黄色であることから、「黄実(きみ)」→「きび」となったとするのが有力な語源説である。実はアワより少し大きい。 アワ同様、うるち種ともち種がある。実をそのまま炊いて粥にして食用にしたり、粉にして餅や団子などにしたりする。 吉備団子は元々は黍団子で、その名の通り黍粉を原料としていた。吉備の名産とされるようになってから吉備団子と書かれるようになった。現在では黍粉を使わずに白玉粉などで作られることも多い。 モロコシ(タカキビ)を「キビ」と呼ぶ地方では、こちらの整体師 を「コキビ」と呼ぶ。 唐棹(からさお)は日本の農具の一種。唐竿、連枷、くるりなどとも呼称する。長い竹のさおに、回転する短い棒がつけてある。このさおを持ち、むしろの上に広げられている穀物を短い棒を回転させながらたたき、脱穀した。このような脱穀方法を千歯扱きなどの「梳き」に対して「打穀」と呼んだ。 この唐棹は稲や麦だけでなく他の作物にも幅広く利用できたので、日本だけでなく、世界各国に数多く似たようなものがある。 焼き畑農業のような最も原始的な農業でも、棒きれのようなものが農具として使われ、土を掘り返すのに使われた。これは、タロットにも登場し、「ロッド」と呼ばれる。タロットがトランプに発展してからは、これは「クラブ」になった。もはや、直接農具を表示していないが、クラブは農民の意味で用いられる。 フランス革命前夜の百科全書では、大項目主義の他に、新しい技術の革新やそのしくみの図解などが多数取り入れられたが、新しい農機具もその中に含まれている。 農具は動力として、使役動物(牛や馬など)やガソリンエンジンなどを得て農業機械として急速な進化を遂げ、今日もますます進化を続けている。 耕耘機(こううんき、耕うん機、ティラー、英: Rotary tiller )とは、田んぼや畑を耕すために用いられる農業機械の1つである。主にロータリーによる耕耘を目的としたものが多い。そのため、「ロータリー」という和製英語で呼ばれることも多い。「耘」に替え、あえて常用漢字の「運」を当てて、耕運機と表記される場合がある。また、畑等で様々な作業を行うために各種作業機の連結を前提としたものは管理機と呼ばれる。 一般的には、エンジンを載せたフレームに耕耘のためのロータリーを連結し、人が後部からついて歩く形態の機械である。同じく内燃機関(エンジン)を動力とし、比較的大型で汎用的な目的で使われるトラクターと違い、耕耘機は専ら耕耘するための専用機であり、より車体が小さく、車重も軽くできている。 日本において普及が進んだのは戦後のことで、普及に伴い牛や馬に犂を引かせて田畑を耕す古来の方法は廃れてしまった。現在の耕耘機は、エンジンやロータリーの構造の改良によって、当初よりは相当コンパクトで高性能を有するようになっている。 しかし、1960年代以降、作業能率の優れたトラクターが本格的に導入されるようになり、耕耘作業の中心はトラクターへと移行した。現在では、もっぱら小区画の耕地あるいは中山間地の耕地で良く利用される。 なお、その構造上の特徴から、歩行型トラクターという名称で呼ばれることもあるが、本来のトラクターとは全く別の種類の農業機械に位置付けされる。 耕耘機を発明したのはオーストラリアのアーサー・クリフォード・ハワード(Arthur Clifford Howard)といわれている。ハワードはニューサウスウェールズ州の父親の農場で蒸気トラクターを動力とした動力耕耘機の研究を行う中で、L字型の金具の回転により通常の犂と同様な土壌の耕起が可能であることを発見した。 1920年にハワードは内燃機関を内蔵した耕耘機の特許を取得し、1922年、シドニー郊外のノースミード(Northmead)にオーストラリア自動耕耘機製造会社(Austral Auto Cultivators Pty Ltd)を立ち上げる。この会社は後の1927年にハワード自動耕耘機会社(Howard Auto Cultivators)と名前を変えるが、世界的な需要に対しオーストラリアが地理的に不利であったことから、ハワードは1938年、イギリス・エセックス州イーストホーンドン(East Horndon)に新会社・ロータリーホー社(Rotary Hoes Ltd.)を設立した。この会社は世界中に支店を設立し、後にハワードロータベーター社(Howard Rotavator Co. Ltd.)としてグループ統括を行うこととなった。 なお、ハワードグループは1985年、デンマークのスリッジ・アグログループ(Thrige Agro Group)に買収され、2000年には同じデンマークのコンスキルドグループ(Kongskilde Industries)の一員となっている。